「ホントに歩く東海道」をもとに「しっかり歩く佐屋街道」 その1
2016年 04月 24日
自身の東海道歩きでは電車で移動したのですが、その後NPO主催の七里の渡しツアーに参加したりブログでルートの変遷をまとめているうちに、この区間の面白さにとりつかれてしまったのかもしれません。
名古屋に住んだことも、ほとんど遊びに行ったこともないので、そんなに思い入れがあるわけではなかったのですがね。
いつかは歩きたいんだよなぁなんて考えていたところに発売されたのが、風人社さんの「ホントに歩く東海道 別冊佐屋街道」です。
風人社さんは、街道ウォーカーが実際に歩いてみることに特化した街道のウォークマップ「ホントに歩く」シリーズを発行されていて、
ほかに大山街道、R412や東海道(順次発行中、'16年4月現在)が発売されています。
「ホントに歩く~」では佐屋から桑名までの三里の渡し区間については、江戸幕府の巡見使が利用した巡見街道を紹介されています。
でも、川歩きも好きと、古い道を忠実ににたどりたくなる街道原理主義に軽く罹っている私ですもの、なんとか三里の渡しルートを歩けないものかと調べてみました。
宮~桑名間の七里の渡しルートと佐屋街道はこんな感じでした。赤い線が佐屋までの佐屋街道、青い線が三里の渡しルート、そして黄緑の線が私が舟で渡った時の七里の渡しルートです。
素晴らしい資料を作ってくださった風人社さんには申し訳ないのですが、この調べた航路を組み込んで まるにの こだわりの佐屋街道を歩きに行きました。
佐屋街道は幕命で尾張藩が整備するはるか昔の律令時代に開かれ、重要な陸路として重用されていたそうです。
道が造られたころには周囲に何もなく、一気に行っちゃえとばかりの一直線の道が津島まで続きます。
我が地元でいうところの、青梅街道や中央線の中野~立川間のようです。
街道に唯一残る、神守一里塚を通り、津島を過ぎると区画整理が進んで道が消滅してしまった箇所が増えてきます。
伊勢湾台風で折れてしまった大地主神社の鳥居などが残っているように、復興の際に道の付け替えがかなり行われたのかもしれません。
それにしても海からかなり離れた津島辺りまで大きな被害をおよぼしてしまった伊勢湾台風の凄さに驚くばかりでした。
佐屋川の後は海辺幹線水路に転用されています。
水路の沿っては歴史的なモノが何も残っていないので、ひたすら前に進みます。
弥富まで歩いたところで、1日目は終了としました。
この日は名古屋に泊まって2日目に弥富から桑名まで歩く予定だったのですが、朝起きてみると天気予報通りの悪天候でした。
風雨が凄くとても歩ける状況ではなかったので、弥富歴史民俗資料館で勉強して帰ることにしたのでした。
予定通りに進めば寄ることのできなかった資料館へ行けたし、また名古屋へ歩きに行けるからいいや …… というのは負け惜しみだけではありませんよ。
次回は埋め立てられた輪中に残る水路を歩いて、物議を醸した長良河口堰を通りますよ(^^)/
いつ歩きに行かれるでしょうか ……