参勤交代ルートについて


今回も以前 Twitter でつぶやいたネタを、再構成してお届けします。

江戸時代、ごく1部の大名を除いて参勤交代を課せられていました。
この参勤交代、国元をたって江戸の上屋敷まで来るわけですが、当然のことながら街道ウォーカーのように日本橋まで来て「ゴ~ル!」と叫んでから上屋敷へ行くわけではありませんよね。
江戸市内に入ったら街道を逸れて上屋敷へ向かうわけですが、そのルートを古地図片手に歩いたら面白くないかな?というのが今回のネタの発端です。

 

まずは川越藩。

川越藩が参勤交代に川越街道を通ったのは当たり前ですが、板橋の中山道との追分である平尾から上屋敷のある溜池までどう行ったかという話です。
頼りはなんと、フォロワーさんに教えていただいた、「川越街道」という本に出てたようだという一言のみ(^^; この本を所蔵している図書館を検索して、行ってきましたよ。

夏の盛りだというのに、他にも参考になりそうな本も見ようとすると、どうも図書館のハシゴをしなければならそう(;_;) 
結局、最初の図書館で「川越街道」を読み情報を得た後、次行ってみようと外へ出た瞬間あまりの暑さにヘタレてしまったわけですが(^^; 

帰宅して、早速コピーしてきた資料と、古地図を見比べてみましたよ …… 
参勤交代の行列だから、細い道を通ったとは思えないのだけれど …… 
はっきり言って、よう判りません。参考になるかと思って、現代の地図でのルート検索までしてみたけれど …… よう判りません(;_;)

松平大和守の家臣が記した「川越御城下より御上屋敷迄往還行程調帳」によると、
平尾の追分から中山道を通らず、池袋~市ヶ谷~四谷~赤坂~溜池(上屋敷)のルートだったようですが、詳しい記述がないようで特定は困難なようです。

あっさりここであきらめたので、はなはだ中途半端な結果に終わってしまったのですが、自分なりにルートを考えて上屋敷跡から平尾の追分まで歩いてみたいと思ったのであります。
あぁ~、消化不良だけど、まぁ良しとしようっと(;_;)

 

次、高遠藩。

先日川越藩の参勤交代ルートのついての自由研究をつぶやきました。
ほかの藩はどうなの?とグーグル先生に聞いたら、すぐに教えてくれたのは高遠藩は内藤さんでした(^^;

高遠城 → 藤沢川を渡り枝突街道 → 御堂垣外から金沢峠越え → 甲州街道、金沢宿 → 甲州街道 → 内藤新宿で下屋敷の人々の出迎え → 四谷大木戸を通り、荒木横町を左折 → 市ヶ谷御門 → 九段坂 → 表神保小路 → 小川町の上屋敷\(^o^)/

で、6日間の行程だったそうです。
これなら、内藤新宿から上屋敷跡まで辿れそう(^^;

 

川越藩ルートも、高遠藩ルートも思い出したように古地図を見ながら考えているのですが川や街道を歩きに行ってしまうので、実現するのはまだまだ先になりそうです(^^;

 


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Commented by 葛左京 at 2013-11-28 21:09 x
鋭い視点ですね!
Commented by まるにの at 2013-11-29 22:14 x
ようこそ、おいでくださいました。

鋭いかどうか判りませんが(^^;
何気ない「あれっ?」を大事にしたいと思っています。

これからも、よろしくお願いしますm(__)m
by marunino_notenki | 2013-11-27 07:35 | 自由研究 | Comments(2)

趣味の川歩き、街道歩きで感じたことをボチボチと


by まるにの