青梅街道について(その1)箱根ヶ崎周辺のルート

'11年5月3日に歩き始め、2年半かけて'13年11月17日に踏破した青梅街道。
歩き始めたきっかけは、「青梅までなら軽く歩けんじゃね?」というかなりアホな思いつきでした。だって酒折まで続いているなんて知らなかったんですもん。

「やっぱりスタートは日本橋だよね」と新宿追分まで甲州街道を歩いたあと青梅街道に入り、2回で青梅に到達したわけですよ。
と、ここで衝撃の事実を知ったわけです。
1、青梅街道は酒折まで続いている。
2、青梅橋(東大和市駅)から箱根ヶ崎までは旧道が存在する(軽い気持ちで歩いたので、当然?現街道を歩いたわけです)

当時は初心者とはいえ(今も?)街道ウォーカー、旧道は聞き捨てならんと調べました。

江戸城築城に使う石灰を青梅のそばの成木から運ぶために整備されたのが始まりとされる青梅街道。
箱根ヶ崎あたりは時代と共に何度かルートが変わっていました。

「歴史の道調査報告書」は天保5年(1834年)の「御嶽菅笠」に紹介されているルートを取り上げています(図の旧青梅街道)

旧道は青梅橋を超えると現在は桜街道と言われる道を北西に1直線に進み、武蔵村山市の中原から箱根ヶ崎を目指します(中原周辺は区画整理で、旧道が失われています)
もう一つ、伊奈平橋(旧日産の工場で、現在のイオンモールの西側)から残堀川の北側を箱根ヶ崎へ向かうルートもあったようです。

それに対して、現在の青梅街道は青梅橋を越えた後北上し、奈良橋から西へ進んで箱根ヶ崎に至ります(図の現青梅街道)
この道も途中に高札場があったりして古い道だったようですが、現在この道を青梅街道としたわけは判りませんでした。村山貯水池、山口貯水池の建設と関係があるのでしょうか?

更には原江戸道(はらえどみち)といって、中原からまだ一直線に突き進み青梅市新町で青梅街道に合流するルートがありました(図の原江戸道)この道も江戸時代の初期には存在していたようです。

青梅街道は東から進んで、小川宿を出ると箱根ヶ崎、青梅と宿場があります。
箱根ヶ崎は古くは鎌倉道が通り、江戸時代には八王子の千人同心が日光東照宮へ通う千人同心街道(日光街道)も交差する、交通の要衝となっていたようです。
旧、現青梅街道はどちらも箱根ヶ崎を通っていますが、原江戸道はバイパスのように箱根ヶ崎を通らずにショートカットしているわけです。
小川から青梅まで宿場がないというのはかなりの距離がありますし、箱根ヶ崎の宿を原江戸道との交差す点へ移さなかったのにも理由があったと思うんですよね。

以上のことから「歴史の道調査報告書」が取り上げている旧街道が自然なのかなと思うわけです。

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by marunino_notenki | 2013-12-01 17:30 | 自由研究 | Comments(0)

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