青梅街道について(その2)大菩薩峠周辺のルート

前回は青梅橋から箱根ヶ崎へ至る、いくつかのルートについて紹介させていただきましたが、今回は大菩薩峠越えのルートについてです。

現代においては完全に登山ルートとして認知されている旧青梅街道の大菩薩峠を超えるルート、江戸時代にはこの1,900m級の峠を行き来していたわけです。

最近新宿駅東口の角筈ガード(JRの線路をくぐる人と自転車のみ通行できる、旧青梅街道に相当する地下道)入り口に最近設置された旧青梅街道紹介の説明版によると、大菩薩越えのルートは 氷川宿 ~ 丹波宿 ~ 塩山宿 となっています。
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歴史の道調査報告書とその他の資料によると、

氷川から大菩薩峠へ至るルートは、元々は古甲州道といわれる大和朝廷時代の武蔵府中と甲斐府中を結ぶ官道で、小菅 ~ 牛の寝 ~ 石丸峠 ~ 大菩薩峠 の小菅道であったようです。
小菅の手前の余沢には口留番所がありましたが、享保9年(1724年)に廃止されています。
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江戸時代中期になると、丹波 ~ フルコンバ ~ 大菩薩峠 の丹波道が主要ルートになったようで、丹波山村に宿泊する人が多くいたので宿と俗称されるようになりました。
先に紹介した、新宿に設置された説明版はこのルートを指していますね。

明治初年には 小菅から白糸の滝の脇を通り、フルコンバへ至るルートが建設されましたが、その後すぐに明治11年(1878年)には丹波山村から柳沢峠を越えて裂石へ至る新たなルートが開設され、やっと氷川から塩山まで通して馬が通れるようになりました。
この一番新しいルートが現在の青梅街道、国道411号線となっているわけです。

小菅道、丹波道が、尾根伝いに峠を越えるのに対し、現在の青梅街道は丹波川沿いに柳沢峠に向かい、峠を越えた先は重川沿いに裂石へ至る沢沿いのルートになっています。
勾配が緩やかで大菩薩峠より400m低い柳沢峠を経由することで馬(現在では車)が通れるようにしたのでしょうが、川へ落ち込む崖状の地形に道を通すことになるので土木技術が進むまでこのルートの開設ができなかったのでしょうか?

実は現在の大菩薩峠も新しく、現在賽の河原といわれているところが昔の大菩薩峠だったのです。
昭文社の「山と高原地図」には賽の河原から富士見山荘へ至る登山道(旧青梅街道)が描かれていますが、先日行ってみたところ賽の河原の西側一帯にはロープが張られ、入れなくなっていました。廃道となったのでしょうか?
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私は小菅道を通って大菩薩峠を越えましたが、街道歩きをして登山までできる?とは思いもしませんでした。
街道歩きを通じて知り合った若いY君がいなければ、山のド素人の私だけでは越えることはできませんでした。
Y君、君のおかげで大菩薩を越えて、青梅街道を踏破することができました。本当にありがとうございました。
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by marunino_notenki | 2013-12-15 08:45 | 自由研究 | Comments(0)

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