甲州道中 韮崎~台ヶ原間のルートについて

私が甲州道中を歩くにあたっては、「今昔三道中独案内」(今井金吾著)などを参考に作成した地図(というか GPS データ)と、途中から iPhone の「甲州道中四十四次」を使っていました。

そんな、韮崎から台ヶ原へ向かって気持ちよく歩いていた時のことでした。
上祖母石で旧道から国道へ合流したところで地図をみると、自作のデータとスマホのアプリが違うではありませんか(下図の青とオレンジのルート)
迷いに迷って私は自分で調べた道を進んだのですが、とても気になってたので調べました(^^;

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青いルートは、江戸幕府が道中奉行に命じて作られた「甲州道中分間延絵図」のルート、オレンジ色のルートは、大城屋良助が結成した東講で加入付録としてで配布された?「五海道中細見独案内」で紹介されているルートだということが分かりました。

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分間延絵図ルートは釜無川沿いに進み、現在の入戸野橋の先で川を渡りさらに川沿いを進みました。
五海道中細見独案内ルートは現在の桐沢橋付近で川を渡り、釜無川右岸の段丘上を進んでいきます。
そして2つのルートは穴山橋を渡った上円井で合流しています。

街道は時代によって付け替えられたり、地震や洪水などで付け替えられたりしています。
甲州道中のこの場所について考えてみると、分間延絵図ルートは釜無川沿いの氾濫原を通っているので川が増水すると通れなくなってしまったのだと考えられます。
それに対して五海道中細見独案内ルートは河岸段丘の上を進むので水害には強かったでしょう。
普段は平坦な分間延絵図ルートが好まれ、このルートが使えない時にはアップダウンがきついけれど五海道中細見独案内ルートが重用されたと考えると自然なような気がします。

妄想かもしれませんが、2つのルートを地形に絡めて考えて自分なりの答えを導き出せたということに達成感を感じているのでした(^^;

おまけ
北伊那の高遠藩の参勤交代について記した資料「高遠従(より)江戸マデ道中記」では分間延絵図ルートを進んだことがわかります(^^;


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by marunino_notenki | 2015-11-23 11:53 | 自由研究 | Comments(0)

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